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福岡高等裁判所那覇支部 昭和60年(く)1号 決定 1985年1月30日

少年 M・T(昭四三・四・二〇生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、申立人ら作成名義の抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

所論は要するに、原判示第五の窃盗の非行事実について、当時少年は、在籍していた定時制高校のクラブ活動で夜遅く帰宅し、その後は家族とともに就寝し、外出したことなどないので、少年の犯行であるはずがなく、原決定には重大な事実の誤認があるというのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判示第五の非行事実の要旨は、「少年は、昭和五九年一〇月一九日午前零時ころ、沖縄県島尻郡○○○町字○○×××番地A子方に、無施錠の台所高窓から侵入し、同人方応接間に置いてあつたバッグから同人所有の現金四〇万円を窃取した」というものである(以下、「本件窃盗」という。)が、少年は昭和五九年一一月一五日別件の窃盗で緊急逮捕され、捜査機関の取調を受け始めたが、翌一六日には、「私がこれまで盗んだ現金のうち一番多かつたのは字○○からで四〇万円位ありました」旨供述して、本件窃盗につき概括的な自白をなし、以後捜査段階は一貫して自白を維持していること、その後、原審に係属して、原審調査官の調査に対しては本件窃盗は自己の犯行ではないと否認に転じたものの、原審審判廷において、裁判官の審尋を受けるに及び、再びこれを認めるに至つていること(もつとも、右審判の冒頭における認否の際には否認している。)、少年が本件窃盗について捜査機関に対してなした自白(少年の司法警察員に対する昭和五九年一一月二三日付供述調書)は、極めて具体的かつ詳細なもので、とくに被害者方応接間のテーブルの下からバッグを発見し、その中から現金を窃取し、右バッグは玄関近くに捨てたと供述するところは、本件窃盗の被害届により認められる客観的事実に符合しており、かつ、その供述は取調官の誘導によるものではなく、少年自身の自発的供述であると認められるのであつて、これらの事実に徴するときは、本件窃盗を少年の所為と認めて差支えないかの如くである。

しかしながら、更に子細に検討してみると、記録を精査しても、本件窃盗と少年を結びつけるものは、右自白のほかには存せず、本件窃盗が少年にかかるものか否かは、一にかかつて、右自白の信用性の有無に帰するところ、少年は捜査段階において、司法警察員作成の同月二六日付追送致書記載の第二の事実(少年が同年七月三一日沖縄県島尻都○○○町字○○○×××番地×所在Bストアーにおいて、現金二五万円在中のバッグを窃取したとの被疑内容のもの)についても自白しているのである(右自白も本件窃盗同様に具体的かつ詳細なものである。)が、右事実については、原決定も認定するように少年自身の犯行によるものとは認め難く、結局、少年は自己の犯行以外のものも現に自白していることになるのであつて、それ故、本件窃盗を少年の所為によるものと断ずるについては、自白の存在を絶対視するのは危険であり、その信用性の判断はとくに慎重な吟味を要するとしなければならない。そこで、更に進んで、自白にかかる内容を検討するに、以下に述べるとおり、少年の自白には不自然かつ不合理と解すべき疑問点が数多く存するといわざるを得ない。すなわち、

(一)  少年は、同年一〇月二一日原判示第一の窃盗を敢行しているのであるが、その動機は、遊興費に事欠いたためというものであるところ、少年の自白によれば、本件窃盗で窃取した四〇万円は一〇日間くらいでようやく費消したというのであつて、真実本件窃盗を敢行していた場合には、果たして、その僅か二日後に更に原判示第一の犯行を累行する必要性があつたのか甚だ疑問である。

(二)  被害者方は、少年宅から県道七六号線に出て南下し、字○○で脇道を左折してしばらく東進した所に位置し、少年宅からの行程は二・五キロメートル近くもあるのであるが、少年の自白は、自宅を出た後、三〇分間位家人がいそうもない家を物色しながら歩き続け、被害者方に至つたというのである。しかし、被害者方に至るまでの間適当な家屋がなかつたとするのはいささか疑問とせざるを得ないし、とくに字○○に至り、突然脇道を左折した理由について、何ら合理的な説明もなされていないのは問題がないではない。

(三)  少年は、侵入した際の認識として、「被害者方は玄関の電気がついている以外、家の中は暗く、人はいないと思つた」旨供述するが、侵入の時間帯からすれば、家人が就寝中であると考えるのが常識的であり、その意味で、少年の右供述はいささか特異に過ぎて不自然である。

(四)  被害届によれば、被害当夜、被害者方玄関は施錠されていなかつたと認められるところ、少年の自自は、玄関が施綻されていたため、台所高窓から侵入したというのであつて、客観的事実に反する内容のものである。

(五)  少年が本件窃取にかかる四〇万円の消費状況として述べるところは、ゲーム機等で遊んだとするほか、早く金を少なくしたいためにむやみに洋服を買つて廃棄したとか現金を公園に捨てたとする内容であつて、いかにも不自然とせざるを得ない。

(六)  本件窃盗を除き少年の所為と認められるその余の窃盗は、いずれもいわゆる空巣盗であり、時間帯も昼から宵にかけてのもので、被害者方も少年宅の近辺なのであるが、本件窃盗はそのいずれの点においても態様を異にしており、その点も自白の信用性を判断するにあたつて想起されるべきである。

以上である。

もとより、以上の諸点のうちあるものについては、少年が自己の刑責を軽減するため、故意に真相を秘匿し、あるいは真実と虚偽事実を混入して供述した結果とも考えられないではないが、少年は未だ一六歳であつて、その性格等からしても捜査機関の取調に対する抵抗力は強いとは認められず、かつ、自白当時には少年なりに少年院送致を覚悟していたと窺われることに徴すると、前記のような可能性はほとんどないといつてよく、結局、前記(一)ないし(六)の諸点は自白の信用性を大いに減殺する方向に働くものであることは否定できない。

更に、少年は、当裁判所受命裁判官による審尋において、本件窃盗を再び否認するに至り、自白した状況等について、大要、「捜査段階で自白したのは、逮捕された直後から、警察官に、Bストアーの件とともに少年の犯行だろうと繰り返し追及され、当初は否認したものの、自分の言うことを全く信用してくれないため、いずれにせよ少年院に送られるのだからと考えて認めることにしたからである。本件窃盗当時、自分は定時制高校の野球部に入つており、午後一〇時ころ帰宅し、その後はテレビを見て、兄と共に寝る毎日で、深夜外出したことはない。自分は空巣が専門で、人のいる家には、捕まりに入るようなものだから侵入することはない」などと述べるのであるが、その供述態度は真摯かつ率直なものであつて、前記自白に対する疑問点を併せ考慮するときは、右少年の弁解を一概に虚偽のものとして排斥することは相当ではないと考えられる。

而して、上来説示したところによれば、本件窃盗を少年の犯行と断定するについては、なお合理的疑いが残るものといわなければならず、従つて、原決定は少年に対する原判示第五の窃盗の非行事実を認定した点で、結論において事実誤認を犯したものというほかはない。しかしながら、その余の非行事実については原決定が認定判示するとおりであつて、一件記録から認められる少年の要保護性に照らせば、少年の健全な育成を図るためには、少年を中等少年院に収容して矯正教育を受けさせる以外に適切な方途はないと認められるから、結局、原決定の右事実誤認は、決定に影響を及ぼさないものというべきである。論旨は理由がない。

よつて、少年法三三条一項後段、少年審判規則五〇条により本件抗告を棄却することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 惣脇春雄 比嘉輝夫 中山隆夫)

抗告申立書<省略>

〔参照〕原審(那覇家 昭五九(少)八八二号 昭五九・一二・二一決定)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は

第一 昭和五九年一〇月二一日午後六時ごろ、沖縄県島尻郡○○○町字○○×××番地の×○○○アパート一〇三号C子方において、無施錠のベランダ側出入口から屋内に侵入し、六畳居間整理タンスの引出しから同人所有の現金一五万円を窃取し

第二 同年七月二八日午後四時ごろから同日午後六時ごろまでの間、同郡同町字○○××番地D洋裁店ことD子方において、同店表側出入口から屋内に侵入し、同所六畳間に置いてあつたハンドバックから同人所有の現金八万一、〇〇〇円を窃取し

第三 同年八月九日午後八時三〇分ごろ、同郡同町字○○××番地E方において、無施錠の玄関から屋内に侵入し、一二畳居間のテーブルの上に置いてあつた財布から同人所有の現金約三万円を窃取し

第四 同年一〇月二五日午後一時ごろ、同郡同町字○○×××番地の×FスーパーことF子方において、客を装いカウンターの下に置いてあつた同人所有の現金一万円、運転免許証、保険手帳等在中のハンドバックを窃取し

第五 同年同月一九日午前零時ごろ、同郡同町字○○×××番地A子方において、無施錠の台所高窓から屋内に侵入し、応接間においてあつたバックから同人所有の現金四〇万円を窃取し

たものである。

(適用法令)

第一ないし第三及び第五の各事実中

住居侵入の点につき いずれも刑法一三〇条

窃盗の点につき いずれも同法二三五条

第四の事実につき 同法二三五条

(少年の否認する事実についての当裁判所の判断)

少年は、司法警察員作成の昭和五九年一一月二六日付追送致書記載の犯罪事実中、第二及び第五の事実について司法警察員及び検察官に対してはこれを認め、調査官による調査段階においてはいずれもこれを否認し、当審判廷においても同追送致書記載の犯罪事実第五の事実についてはこれを認めたものの、第二の事実については依然として否認した。よつて検討するに、法律記録によると、上記第二の事実については、その被害者であるB子作成の被害届によると犯人は二五歳位(但し、二七~二八歳位との記載も併存する。)の男で、身長は一六〇センチメートル、一見労務者で上衣はうす茶色の作業服、ズボンはジーパンと記載されていることが認められる。しかし、少年は当時一六歳であり、鑑別結果によると身長は一六六センチメートルであり、審判廷における少年及び保護者の供述によると、犯行日とされる昭和五九年七月三一日頃の少年の着衣はランニングシャツと赤い短パンを着用しており、更に少年はうす茶色の作業服は所有していないことが認められる。前記被害者と少年側の記憶を対比すると、上記第二の事実については、少年の犯行と認めるには合理的な疑いが存すると言わざるを得ない。よつて、上記第二の事実についてはこれを認めることはできない。

なお、上記第五の事実については、法律記録及び審判廷における少年の供述を総合するとこれを認めることができる。

(要保護性)

一 法律記録、社会記録及び審判の結果によると、次のことが認められる。少年は中学一年時までは問題行動もなく過してきたが、中学二年時の夏休み頃から友人と那覇市内まで出かけて遊技場に出入りするようになり、遊興費・タクシー代等欲しさに車上狙いをするようになつたほか、昭和五八年三月二九日当庁で家人不在中の店舗やアパートに入り多額の現金を窃取した保護事件で不処分となつた。中学三年時は真面目に通学し非行はなく、昭和五九年四月実母の強い勧めもあつて○○商業高校定時制課程に入学し、善行保持が期待できるかに思われたが、同年七月頃から再び遊興費欲しさに本件非行を重ねるようになつた。同年八月中旬頃から約四〇日間家出して東京で過し、同所で補導され父母に引き取られて帰宅し、在籍高校からの出校停止処分を経て同年一二月同校を退学した。少年の本件非行はいずれも単独、かつ、計画的に反覆累行されたもので、手口も巧妙で窃取額も多額である。他方、少年の家庭では父母共に少年に対する関心と愛情は深く、少年も家族に対し親和的であるが、特に母親は少年の心情を理解することに欠け、一方的に押しつけ、親子関係は必ずしも良好とはいえず、又少年に対する保護者の監護能力に期待を寄せることはできない。

二 鑑別結果によると、少年は知能指数が限界域で、視野が狭く、自己中心的で意志薄弱、自己統制力に乏しく、分裂気質で、ひがみぽく対人不信感を抱き易いため、情緒の安定性に欠ける等の負因を有していることが認められる。

(処遇意見)

以上にみた本件非行の態様、少年の年齢、生活態度及び知能、性格上の負因並びに保護者の保護能力等を総合すると、在宅保護は相当ではなく、少年を中等少年院に収容し集団生活を通じての矯正教育を施すことが少年を保護するゆえんであると思料する。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項後段、少年院法二条三項により主文のとおり決定する。

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